沿革

Updated:: August 13, 2013
Last modified: September 01, 2017

 

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西日本日独協会60年の歩み ―1956(昭和31)年~2016年(平成28)年―

  • 揺籃期 ―1956(昭和31)年~1975(昭和50)年―

    1956年12月6日、西日本日独協会は、戦後としては東京、大阪に次ぐ第三番目の日独協会として産声をあげる。初代会長は安川第五郎氏(安川電機会長)、事務局は九大医学部第三内科(澤田藤一郎教授)に置かれ、1958年から1975年までは、医学部整形外科学教室(天児民和教授)に置かれた。当初はドイツにゆかりのある、あるいはドイツ留学をめざす九大関係者に、安川電機、八幡製鉄、九州電力、アサヒビールなどの大企業関係者が加わった会で、九大医学部関係者が中心であり、世話役を一身に担った。

    したがって、きわめて内輪の、クラブ的性格が強く、月に一度の「例会」で、ドイツ総領事館提供のドイツニュース映画を見たあと、卓話を聴き、会員同士の情報交換と懇親をはかることを基本としていた。ごく稀にではあるが、文化講演会や映画会などの市民向けの啓蒙的な集まりも企画されたようである。

    その後、第一次石油ショック(1973年)の煽りを受けて企業の退会が相継ぎ、安川電機自体も退会するに至り、それとともに安川会長が辞任し、1976年(昭和51)に天児民和教授が会長に就任、心療内科の木村政資助教授が事務局長として会長を補佐するに至った。

  • 隆盛期 ―1976(昭和51)年~1985(昭和60)年―

    設立後20年を経た1976年は、西日本日独協会の歴史にとって画期的な年となる。
    (1) 事務局が、木村政資氏が開院した「木村内科クリニック」(天神富士ビル)に移転し、爾来30年、協会の確固たる活動拠点となる。
    (2) 「年報」の第1号が刊行される。
    (3) 役員体制が確立し、会則も整う。
    (4) 第1回「ドイツ語ドイツ文化夏季大学」として、学術講演会・ドイツ語講座・映画会などが催され、協会のその後の市民に開かれた文化活動に先鞭をつけた。

    こうして協会は天児・木村体制のもとで、クラブ的性格を脱して名実ともに「協会」となり、「黄金の昭和50年代」とも呼ぶべき一時代を築く。会員も、大学関係者や医師のみならず、マスコミ人や音楽家なども加わって多様な顔ぶれとなり、例会も含めて多彩な活動が展開される。

    1977年(昭和52)、この時期を象徴するイベントとして、「福岡ドイツ文化月間」が、広く市民を巻き込んで一ヵ月にわたってくりひろげられた。映画祭、講演シリーズ、美術展、音楽会、演劇上演など、当時としては他に類を見ない充実したプログラムであった。

    1981年(昭和56)の「福岡ドイツ文化週間」、1982年 (昭和57)の「在日ドイツ人陶芸家ゲルト・クナッパー展」(福岡市立美術館)なども、その延長線上にある。

    この50年代には、ブレーメン独日協会やバーデン・ヴュルテンベルク(シュトットガルト)独日協会との姉妹協定も結ばれ、1982年(昭和57)と1983年(昭和58)にそれぞれの地へ、親善使節団が派遣され、交流を深める。

    その後協会の伝統となる二大名物行事も、この時期に始まる。
    (1) 「脇坂先生とハイキング」。著名な登山家であった脇坂順一会員(久留米大学医学部名誉教授)のガイドで毎年福岡近郊の山を歩く会(1982年から1998年まで16年間)。
    (2) 「ドイツ映画の会」。大河内ロスヴィータ会員の肝煎りで、月一回の会員および市民向けのドイツ映画上映会(1986年から1999年まで13年間)。

    その他、特筆されるべきこととして、1980年、西部ガス本社に福岡ドイツ名誉領事館が開設される(名誉領事は西部ガスの社長、会長が務める)。これにより、ドイツとの諸関係において、公的機関(ドイツの官庁)としての名誉領事館と、民間団体としての西日本日独協会という役割分担が明確化し、相互の協力関係も約束され、今日に至る。

  • 安定期 ―1986(昭和61)年~2003(平成15)年―

    1986年、協会創立30周年を迎える。これ以降のおよそ20年間は例会の充実を軸に、着実な安定的活動が展開される。〔しかし、ドイツ本国では、1989年11月9日ベルリンの壁崩壊、1990年10月3日ドイツ再統一、1992年11月1日欧州連合EUの発足、1999年1月1日には通貨マルクが廃されユーロとなるなど、激震がつづく。〕

    1994年、天児会長が18年間にわたる会長の座を退き、木村政資氏が会長に就任する。

    1995年、ユニバーシアード・ドイツ選手団歓迎パーティ主催(末永文化ホール)。

    1998年、ディートリヒ・ヘンシェル歌曲リサイタル主催(福銀ホール)。

    1999年、ハレ独日協会と姉妹協定を結ぶ。

    2000年、「日独親善促進基金」(ドイツ人留学生・日本語研修生をクリスマス会等に招待するための基金)を設置する。(現在の「ドイツ人留学生との親善促進基金」)。

    2002年、ドイツ水害義捐活動(夏のエルベ川の氾濫による水害)。木村会長の呼びかけで計40万円の義捐金が集まり、ドイツ総領事館を通じてビターフェルト市に送られる。

  • 変動期 ―2004(平成16)年~2007(平成19)年―

    2004年、木村会長が引退し、池田紘一氏(九州大学名誉教授・独文学)が会長に就任。協会創設以来48年間続いてきた医学関係者を中心とする組織体制に終止符が打たれ、変動期に入る。

    2005年4月~2006年3月、「日本におけるドイツ年記念行事」が展開される。協会の総力を結集し、一年間にわたり、コンサート、講演会、シンポジウム、展覧会、クリスマスマーケットなど、全部で13の催しを展開する。かつての「ドイツ文化月間」に匹敵する一大イベントとなる。

    2006年、木村内科クリニックの閉院にともない事務局移転を余儀なくされ、紆余曲折を経て、2007年、現在の中央区白金町の「城島印刷株式会社」内に事務局を置く。

  • 新たなる胎動 ―2008(平成20)年~2013(平成25)年10月―

    2008年、池田会長が退き、根本道也氏(九州大学名誉教授・独語学)が会長に就任し、協会改革を進める。新しい時代の日独友好と親善のあるべき姿が模索され、特に、市民に開かれた協会、若者に魅力ある協会が目ざされ、会員の顔ぶれもますます多様になり、世代交代も進む。

    2009年、「福岡で楽しむEU/福岡EU協会」を共催する(毎年2月)。

    2010年、「日独交流150周年基金」の寄付金の募集を行なう。

    2011年、「日独交流150周年記念行事」を行う。「福岡オクトーバーフェスト」の共催、国際シンポジウム「老後を生き生きとすごすために・・・ドイツでは?日本では?」(2012年3月24日開催)、「年報35号・日独交流150周年記念号」(1000部)の発刊など。

  • 変革と模索 ―2013(平成25)年10月~2017(平成29)年3月―

    2013年10月5日、根本会長が辞任し、池田紘一前会長が再び会長の任に就く。

    2013年8月、「ウェブサイト」が全面的に刷新され、迅速かつ詳細な情報提供が可能となる。 「青年部」設立が臨時総会おいて承認され、試験的活動を開始する。

    2014年4月13日の定期総会において会則の全面的改定と青年部規定制定がなされ、協会の組織、体制、運営の全面的抜本的改革に取り組むとともに、青年部が本格的活動の第一歩を踏み出す。また、2014/2015年度、ドイツ語教室運営整備の結果、順調な活動がなされた。

    2016年度は本協会にとって極めて重要な節目となる。つまり、2016年12月6日をもって、創立60周年の日を迎える。そのため、2016年度の例会・特別例会はすべて創立60周年記念として開催された。その他、特別の記念事業も催された。第一は、福岡において2016年4月22日(金)/23日(土)本協会主管で開催された2016年全国日独協会連合会年次総会および日独協会若手会員の集い(この連合会総会にて新組織「日独ユース・ネットワーク」として承認された)、第二は、2016年8月のバイエルン独日協会との青少年交流(相互訪問)である。また、「60周年記念事業」の寄付金募集が行われた。

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西日本日独協会の新たなる歩み ―2017(平成29)年~ ―

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歴代会長(敬称略、肩書きは就任時)

  • 昭和31(1956)年12月~昭和51(1976)年3月: 安川 第五郎(安川電機会長)
  • 昭和51(1976)年4月~平成6(1994)年3月: 天児 民和(九州大学医学部整形外科学教室教授)
  • 平成6(1994)年4月~平成15(2003)年3月: 木村 政資(木村内科クリニック院長)
  • 平成15(2003)年4月~平成20(2008)年3月: 池田 紘一(九州大学文学部教授)
  • 平成20(2008)年4月~平成25(2013)年10月5日: 根本 道也(九州大学名誉教授)
  • 平成25(2013)年10月5日~平成29(2017)年4月23日:池田 紘一(九州大学名誉教授)
  • 平成29(2017)年4月23日~現在:岡嶋 泰一郎(社会保険仲原病院院長)

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事務局

  • 昭和31(1956)年~昭和33(1958)年: 九州大学医学部第三内科内(澤田 藤一郎教授)
  • 昭和33(1958)年~昭和50(1975)年: 九州大学医学部整形外科学教室内(天児 民和教授)
  • 昭和50(1975)年~昭和51(1976)年: 福岡市友愛病院内(木村 政資院長)
  • 昭和51(1976)年~平成18(2006)年: 天神富士ビル・木村内科クリニック内(木村 政資院長)
  • 平成18(2006)年~平成19(2007)年: 赤坂・ケヤキ通り「瑞穂ビル」内
  • 平成19(2007)年~現在: 城島印刷株式会社内

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